八角円堂

天平宝字4年から8年(760年-764年)の建立とされています。

藤原武智麻呂の菩提を弔うために子の仲麻呂が建立したと伝えられる本瓦葺の八角形の建物です。

 

平城京および斑鳩以外の地区にある奈良時代建築としてとても貴重なものであり、建立年次がほぼ特定できる点でも貴重な建築であります。

 

外観は平面八角形ですが、内部の身舎(もや)は四角形であり、須弥壇周囲に立つ4本の八角柱が構造上の要となっています。屋根は明治44年(1911年)の解体修理以前には草葺きであったものを修理に際して瓦葺きに推定復元したものです。

 

屋根上の宝珠は修理の際に復元したものですが、当初のものとされる石造宝珠残欠が塔の堂に保存されています。

内部の4本の柱と上部の飛貫(ひぬき)、天井の彩色絵画は剥落がひどいとはいえ、奈良時代絵画の遺品として貴重なもので、建物とは別に「絵画」として重要文化財に指定されています。

 

柱には楽器を奏する音声菩薩像、飛貫には飛天や人面をもつ鳥などが描かれています。


梵鐘

四面に菅原道真の撰、小野道風の書と伝えられる陽鋳の銘文があります。

銘文から延喜17年(917年)の鋳成とわかります。

京都の神護寺、宇治の平等院の鐘と共に「平安三絶の鐘」として知られています。

 

鐘の上部にある龍頭と呼ばれる部分が、梵鐘が数多くある中でも

1番細工が細かくたくみによくできています。

また鐘が全体的に均衡がとれたもので美しさがあります。

平安時代の金工品中特に優秀なものとされています。

 

藤原武智麻呂の5世の孫である藤原道明と道明の伯父の橘澄清によって寄進されたもので、当初は山城道澄寺にありました。

 

道澄寺は藤原道明と橘澄清の名の1字ずつを取って寺号としたもので、寺は京都市伏見区深草直違橋(すじかいばし)に現存します。